チャイルドゲートが親と子どもを守る話。
おはようございます。アーチです。
昨日、オットが息子と2人で近所のコンビニに行ったあと、
すんなり手を洗おうとしない息子にイライラしてて
その様子に「やだなあ、怒ったって伝わってないのに、全くもう」
って内心思ってたのですが
「あぁ…人のこと言えないな」
と思った過去メモがあったのでご紹介します。笑
息子の話。今から3ヶ月くらい前のことです。始まり始まり〜。
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2018年10月10日
チャイルドゲートが母と子どもを守る話。
ここのところ、息子(1歳6ヶ月)イヤイヤ発動気味。こちらの話はかなりの程度分かった上で、やりたいことをやり、止めても聞かない。
それは発達上至極当たり前のことで喜ばしいことなんだけど、私やオットはイライラしながら対処することが多くなってしまっている現状。
例えば昨日、親戚の子の習い事の発表会に出かける直前に、台所にあった油のポットを引っ張り出し、床に油ごとぶちまけた。
それに対して私の第一声は、「……バカ!!!」である。息子はかなりびっくりした表情で固まっていた。
息子にしてみれば、何が入っているかなんて知る由もなく、ただそこにあるものを、他のスプーンや皿や空きカンなんかと同じ感覚で引っ張り出してみただけ。なんだろうこれ?それだけ。そうしたら何かドロドロヌルヌルしたものがドバッと出てきた。びっくりした。行為と結果。それだけ。そこに悪意はなかった。(あってたまるかとも思う)
私はなんと声をかければよかったのか。「大丈夫?びっくりしたね、綺麗に拭かなきゃね」か?
でも私はそうは言えなかった。こみ上げる怒りをこらえることもなく、怒り散らしながら乱暴に息子を抱えて汚れた足を洗い、床に飛び散った油の処理をした。出かける時間が迫っていた、まだ着替えも支度もおわってなかった。大豆も茹でてる途中だった。台所のゲートを取り外して、危険がないように物の配置をし直して、よしこれで危なくない、と満足した翌朝だったから失望感もあった。
でもそんな事情、息子には知ったこっちゃない。
今日の夕飯作りの時もイラついた。スパイスの棚、クリップの入った棚、ワゴンのカトラリー、いくら「危ないからやめようね」と静止したって聞かずに火の回りをウロチョロ。料理が強制的に何度も中断される。結果として私のイラつきは頂点に達し、子どもに言うまいと誓っていた「あっちでテレビ見てなさい!こっちに来るな!」を鬼の形相で口走ることとなった。お手伝いしたいと泣く娘(3歳半)に「ママと娘ちゃんが台所にいると息子くんも来たくなっちゃうでしょ、娘ちゃんがテレビの方にいてくれる方がママ助かるんだ」と言って、不本意ながら台所から遠ざけた。(後でご飯をよそう手伝いをしてくれた)息子は悲しそうに号泣し、何度も抱っこをせがんで足元に絡みついたり、テレビと台所を行ったり来たりしながら、終いには諦めて娘と一緒にテレビを見ていた。
落ち着いて振り返る。私にとって台所は、子供に邪魔されずに過ごせる唯一の場所なのだ。それを保障していたチャイルドゲートがなくなったことで、私の平穏も失われた。心の余裕が奪われる。
結果としてチャイルドゲートは再び設置されることになった。壁紙が破れたって後悔しない。子どもを無駄に傷つけたくない。私の心の余裕を確保するために、もう大丈夫と思えるまで、もう外さない。
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ね?人のこと言えない。笑
なんでイライラしちゃうんだろう、なんで優しく諭せないんだろう、
なんで余裕を持って接することができないんだろう…
こんなはずじゃない、親ならもっと…
はいはいはい。
幻想。
幻影夢想。
思い通りにならない時に、焦り、イラつき、理解の範疇を超える相手を責める気持ちが生まれるのは、至極当然のことだと思います。
子どものことをいつだって愛してる。
だけど、子どもの行いを嫌だなと思う自分を軽視しちゃいけない。
そして、怒っちゃう自分を受け止めることができれば、
「じゃあどうするか」を考えられると思うのです。
必要ならチャイルドゲート、取り付けましょう。
適度な距離感、大事です。
愛おしいな、愛でたいな、と思える時間が結果増えたら最高ですね。