アーチにっき

35歳目前、2児の母の手習いブログ。

特別支援教育は、原点。その1

おはようございます、アーチです。

この間12月になったと思ったら、もう半分終わるんですね。

師走の速さに毎年ながら驚愕。。

ブログ(アウトプット)を始めた理由の一つに、

 

教員に復帰するまでに、

自分にできることとやりたいことを洗い出し

力を蓄えておきたい

 

って思いがあります。

 

あと3ヶ月とちょっとの間ですが、自分のこれまでを見つめながら、

自分を信頼できるように、学んでいきたいと思います。

 

真面目!!!

 

 

 

できること、やりたいこと・・・

www.arch-diary.com

 

テーマ1 特別支援教育

・出会い

私にはダウン症の姉がいます。2歳上なので今度37歳になります。

気付いた時には一緒にいたので、姉がダウン症だということを一切意識せず、幼少期は一緒に遊んでいました。

よく覚えてるのは、お出かけ前に車の中で母親が来るのを待ってる間、

姉が言うこと(パップルペー♪とかラルラルリー♪とか、適当に楽しく発した音)を私が真似してはケラケラ笑ってた遊び。

それと、自宅の駐車スペースの前がすぐ道路だったのですが、

ある時からハシゴを横にした柵のようなものが置かれて、

「なんで?」と親に聞いたら、

「道路に飛び出したら引かれちゃうでしょ」と言われ、

その時は「ふーん」と思ったものの、

もう少し成長してから、あれは何だったのか聞いてみたら、

姉が5歳頃に道路にふらふらと飛び出して車にはねられたことがあった

ということを聞いて、そうだったのか!と妙に納得した思い出があります。

 

小学校に入学してから、だんだんと姉の「ダウン症」なるものを意識し始めました。

・友達と帰りたくても、姉を連れて帰らなくてはならない

・姉は何年何組と名のついた教室ではなくひまわり学級にいることが多い

・「お姉ちゃんはね、お父さんとお母さんのところなら預けられるって神様に選ばれてあなたのお家に来たのよ」と妙に優しげな声で保健室の先生に言われた

・同級生の男子に姉のことでからかわれ、道徳で取り上げられた

 

ざっとこんな感じですが、小学校まで姉と同じ学校だったからこその体験だろうな。

正直めんどくさいなと思うことはありましたけども、そんなに気になる程ではなかったかな。

生まれた順番は後でしたが、気分は姉でした。

 

姉が中学生になる時、特別支援学校という存在を初めて知りました。

当時はまだ「養護学校」だったのかな。

家の近くにはなくて、電車に1時間近く乗って通うんだと聞き、

電車通学なんて高校生みたいだわーと眩しく見えたくらいです。

そしてその養護学校の文化祭に初めて行ったのが小5。その時が来ます。

 

・初めての養護学校

文化祭というのもあると思いますが、とにかく私が知ってる学校とは違う!と衝撃を受けた記憶があります。

販売コーナーに所狭しと並ぶ作品の数々。バッグやポーチ、木のベンチ、コップ。植木鉢のシクラメン

聞けば全て生徒たちの手にかかった作品だっていうじゃないですか。

手作りコーナーで体験できるキーホルダー作りが楽しくて

教わりながら何個も何個も作りました。

図工好きだったので尚更、私にはすごく魅力的な場所に映りました。

さらに、姉の担任の先生がとにかく気さくでいつも明るく姉に話しかけていて、

その様子があったかくて。

姉も学校でのことを楽しそうに話している。

こんな学校あるんだ…と。

私が知ってる学校はドリルだ漢字だ運動だと大勢で同じことを一斉にするところで

休み時間や給食は楽しいけど別に勉強はこれといって楽しくないし…

この違いは何だ?と、

その後もちょくちょく養護学校に行きました。

そして、どうやら姉の「ダウン症」ってのは珍しいものではなく、

私と同じような勉強を学校で一斉に行うのは難しく、

他にも色々「障害」ってのはあるらしい、

でも楽しいと思ったり悲しいと思ったりするのは私と一緒だ、

と認識していきました。

 

続く。